『キサラギ』

先週末より公開となった映画『キサラギ』がかなり好調のようですね。
綿密に構成された脚本と、それぞれ個性的な男優5人の演技のアンサンブルが見ごたえのある作品となっていました。
男5人がひとつの部屋の中だけ、セリフのやり取りだけによって進んでいくという構成は、ともすれば単調になってしまうおそれもありますが、過去の回想シーンを織り交ぜており、映像ならではの作品となっています。
また、劇中で重要な役割を果たす「ある部分」について、こういう手法で最後まで貫くのだな、と思わせながら、映画の終盤でそれをあっさりとひっくり返してしまいます。その脱力感すら覚える裏切りのテクニックには「やられた!」と思いました。
ただ、「ネット上で知り合った男たち」という、映画の根幹となっている部分の描き方が類型的すぎる印象は受けました。まあこれは、私自身が実際にネットの知り合いとの交流が多いゆえに感じる違和感かもしれません(笑)。
しかし、そこに感じた不満も、ラスト近くのあるシーンで吹き飛んでしまいます。小栗旬さんが演じる家元という人物にとって、アイドル如月ミキがどんな存在であったのかを端的に描くそのシーン。饒舌に説明するのではなく、うっかりすると見逃してしまいそうな短いカットで描かれるだけに、それは突き刺さるような鋭さを持っています。そして、この映画を肯定したいという、愛おしさを生み出します。
笑える映画です。楽しめる映画です。しかしこの映画はそれと同時に、哀しさと、人が存在する意味というものを感じさせてくれる映画でもあります。