ホラー映画の可能性を示す『怪談新耳袋 怪奇』

9月4日より公開になる『怪談新耳袋 怪奇』を試写で拝見させていただいたとき、かなりの興奮を覚えました。
私は1990年代から日本のホラー映画*1を好んで観てきました。しかし、ここ数年はホラー映画の状況に、ある種のもどかしさのようなものを感じていました。
1998年の劇場版『リング』や、2003年の『呪怨』などのヒット作品が生み出されたことで、ホラー映画は日本の映画界の中で確固たる地位を築いてきました。
たくさんの新作ホラーが作られ、劇場公開すればお客さんが入って、DVD化されればヒットする。それは喜ばしいことであるのですが、一方で次々と生み出されていく新作が、日本のホラー映画が90年代から積み上げてきたものを消費するだけになっているのではないかという想いもありました。
ホラー映画は、いままで作り上げてきた方法論を繰り返してルーティンワークのように新作が作られる“できあがったジャンル”になってしまったのではないか。そんなことを思っていました。


怪談新耳袋 怪奇』は、ホラー映画がジャンルとして定着し多くの作品が生み出されている現在の状況を、明確に意識して作られていると思います。そして『いまホラー映画がなにを描くのか』という回答を提示する作品になっています。
そういう明確な意図を持ったホラー映画が作られたことを嬉しく感じました。


興奮を覚えた理由はもうひとつあります。
怪談新耳袋 怪奇』の脚本を担当されている三宅隆太さんには、昨年、三宅さんが脚本・監督をつとめた『呪怨 白い老女』が公開された際にインタビューをさせていただきました*2。『呪怨 白い老女』と、安里麻里監督の『呪怨 黒い少女』が公開されたときには多くのメディアにインタビュー記事が掲載されたと思いますが、その中でも濃い内容の記事にできたのではないかと自負しています。
そのインタビューで三宅さんにお話しいただいた三宅さんのホラー観が、今回の『怪談新耳袋 怪奇』ではかなりストレートなかたちで出ています。自分自身が手がけたインタビューの内容が実際に作品の中に登場するという状況に興奮を覚えました。昨年のインタビュー記事は『怪談新耳袋 怪奇』をより深く理解する上でのガイドとなるであろうと確信しています。


主演の真野恵里菜さんの存在も『怪談新耳袋 怪奇』について特筆すべきことのひとつでしょう。
お芝居をするときに、たとえば「いまこの登場人物はこういう状況におかれていて、こういう気持ちになっている。だったらこういう演技をすればいい」というように、方程式で導くようにしてお芝居をする俳優さんは多いと思います。
おそらく、真野恵里菜さんはそういうやり方ではお芝居をしていません。
真野さんは、台本に書かれた登場人物の心境に自らを置いて、そこで自分の中から出てきたものをお芝居として表現しているのだと思います。だから、型にはまった “哀しみ”や“戸惑い”という「記号」ではなく“哀しみ”や“戸惑い”がダイレクトな「感情」としてスクリーンから伝わってくる。それは決して訓練で身につくものではなく、真野恵里菜さんの持っている優れた資質だと思います。
もちろん、篠崎誠監督が真野さんから引き出したものや、三宅隆太さんの脚本によって真野さんの中から引き出されたものも大きいでしょう。しかし、真野さんが篠崎監督や三宅さんから引き出したものも小さくないはずです。もし真野恵里菜さんが主演でなかったら『怪談新耳袋 怪奇』はまったく違った方向性の作品になっていたに違いありません。
前述したように『怪談新耳袋 怪奇』では、脚本の三宅さんのホラー観がストレートなかたちで出ています。そのストレートさは、真野さんという主演女優を得たことで、三宅さんと篠崎監督が選択し得たものだと思います。


黒沢清監督と共著で「恐怖の映画史」を著すなど、ホラー映画への造詣の深さで知られ、満を持してホラー映画のメガホンをとった篠崎監督。多くのホラー映画を手がける日本ホラー映画界きっての俊英・三宅隆太さん。そして、スクリーンを通じて感情を伝えることのできる真野恵里菜さん。
ふたりの優れたホラー映画クリエイターと素晴らしい女優の、奇跡のようなコラボレーションで生まれた『怪談新耳袋 怪奇』は、ホラー映画の持つ可能性を見せてくれる作品です。


『怪談新耳袋 怪奇』公式サイト


※fjmovie.comには私が取材・構成を担当した篠崎誠監督のインタビューが掲載されています(『怪談新耳袋 怪奇』篠崎誠監督インタビュー)。ぜひそちらもお読みください。

*1:ここでは劇場用映画だけでなく、テレビ用作品やオリジナルビデオ作品も含めて“ホラー映画”とします

*2:fjmovie.com掲載:『呪怨 白い老女』三宅隆太監督・『呪怨 黒い少女』安里麻里監督インタビュー